2023.11.22


夜、夕飯を食べながらツイッターを眺めていたら、たまに電話する友人が酔っ払ってるツイートをしていたので電話をかけてみた。
友人が電話に出るや否や、声色からしてご機嫌なんだなということがすぐわかった。
酔ってる=ご機嫌ではないと思うし、何か辛いことがあってお酒を飲んでる場合もあるので、ご機嫌そうでよかったな、とまず思った。


”妄想”についての話をした。
友人の妄想話は自分が普段している妄想のジャンルとはかけ離れた内容の妄想をしていて、話を聞いていてとても面白かったし、興味深かった。その内容が面白すぎて自分の妄想話は本当にしょうもない(というか発言するには恥ずかしい)内容だったりしたのでしなかった。

 

話題は妄想話から人間についての話になった。
“考える”ということこそが”人間”だ。という友人の発言で、それは確かにそうだ。と思ったし、最近それに近しいことをちょうどぼんやり思っていた。
ねこが自分の目の前にある、例えば虫だったり石だったり、そういうものを凝視し、匂いを嗅いではまあるい手で小突き、再び自分のすぐそばに戻したと思ったらまた小突く。力が強すぎたのか少し遠くへ行ってしまっている。その姿を見て「あほだなあ」と思った。と同時に「人間だったら指があるので、それを摘んで手のひらに乗せ、近くで見ることができるし、なんなら調べることもできるのに」と。
ねこにも指はあるが、人間のようにそれを器用に使うことができない。じゃあ人間と同じように器用に指が使える生き物って他になんだろう、と考えたらやはりすぐに出てきたのは猿だ。猿には人間と同じように長い指があるし、人間と同じようにバナナの皮を剥くことができる。じゃあ何が人間と違うのかというと”考える力”、(あくまで個人の意見ですが)すなわち思考力が人間は長けすぎているのだ。猿には家を建てることはできないが、人間にはそれができる。そういうことである。

それはいいことでもあり、悪いことでもある。
そんな話を、他のくだらない話も交えながら1時間ダラダラ話した。


その後、昨日行った折坂さんと山口さんのトークショーアーカイブ配信を見た。昨日現場で聞いたばかりの話だけどめちゃくちゃ面白くて何度も感心してしまった。
その途中で最近5、6年ぶりくらいに再会した専門学生時代の友人から配信見たよ!と連絡がきた。
わたしには折坂さん友達がいないので、この連絡が頗る嬉しすぎてその場で舞った。例えばライブに行った後も「あの曲のあそこが今日はよかった!」や「あそこアカペラだったな!沁みた〜!」とか、誰かと共有したいことが多すぎるが、何しろ共通の友人がいないので自分の中で爆発させることがほとんどだ。SNSで発信したりすることももちろんあるが、それは140字(とは限らないが)では表せない程の熱量だったりするので、削って削って言葉にすることが多い気がする。
そういうのもあって、このトークショーについての話を誰かとできることが本当に心から嬉しかったのだ。
話は変わるが、その友人がわたしが来年開こうと思っている展示について
「変わってないの中に変化を見出すのも見る側の楽しみ」
と言ってくれたのが本当にほんとうに嬉しくて、制作していく上でその言葉をひとつの糧にしていこうと思う。